誰にでも見習の時期はある。
それはいつの時代も、どんな職種でもある気がする。
見習と呼ばないだけで、誰だって修行中の時間はある。
そう呼ばれなくなるのは、あくまでも一人でその仕事が回せるようになった瞬間から。
鉄道の仕事にはその明確な切り替わりがある。
一人のその狭い範囲を一応こなして、他の仲間と一応仕事ができる関係になれることを独り立ちと言う。
気がする。
神宮寺の師匠である一勝地にも師匠がいる。ずっと、ルーツを辿ると同じ誰かにたどり着くかもしれない。
一勝地が見習機関助士だったころ、機関助士の師匠にくっついて、機関車乗りの一歩目を踏み出していた。
地獄の一丁目だった。
師匠の名前は合川指導機関助士。あいさんと職場では呼ばれている。
もの静かそうに見えるが、厳しい指導で有名だった。殴る蹴るの手前まで。そんなイメージだろうか。
電車や、気動車と違い、例外もあるが基本的に蒸気機関車の運転には最低二人がコンビを組む。運転席には機関士と機関助士が乗る。機関士は運転を行い、機関助士は石炭をくべたり、その他様々な運転支援を行う。機関助士を経て機関士になる。機関士になってもヘマをすると機関助士に降格させられることもあった。
そこに、パワーバランスが生じる。意地の悪い機関士は、機関助士に対して、
「もっと運転に必要な蒸気圧を早く上げろ」
「お前の投炭が下手だから遅れた」
こんな調子で、何かとケチをつけた。一切機関助士と会話しない機関士さえいた。
事実、機関助士の石炭をくべるスキルの差は、そのまま機関車の速度の差につながっていた。
一勝地が機関助士時代に一番コンビを組みたかった機関士は、下手くそな投炭で蒸気を作れない新人に対して、
「おい。眠い!眠気覚ましだ。俺の趣味は石炭を放り込むこと(?)だから交代だ。お前はブレーキ握って前方を見とけ」
と、決して一勝地の技術不足を貶すことなく、なにかと理由をつけて交代し投炭の技を披露し、スキル向上の機会をくれるような人だった。
これは、一勝地が機関助士見習の時に経験した話である。
戦後の混乱期 復員してきた機関士たちが稚外機関区にももどってきた。
小屯別駅から外川駅長に伴われ一人の古豪の鉄道員と思しき方が機関車に寄ってきた。
この日の担当機関士だった大野機関士と師匠は直立不動で目を見開き、呼吸を止めているように感じた。
外川駅長は、
「すまんが君たち、添乗お願いしてもよいかね?」
と、古豪の鉄道員を機関車へ乗せようとした。
いつも不機嫌な大野機関士は、外川駅長の隣に視線を移すや否や、顔色が変わり緊張というか硬直し、声が上ずり、
「はいぃ、も、、もちろんであります」
とどこから声が出ているのかわからない返事をした。
一勝地の師匠、合川は言葉を失ったまま茫然としていた。
見習機関助士の一勝地には理解が出来ず、運転台にお爺さん乗せて平気かな?と心配した。
大野機関士も師匠も様子がおかしくなったのは、戦地で亡くなったと聞いていた人が目の前に帰ってきた。
そんなところかな?そう自分を納得させた。
地面から機関車に乗り込み、目線が一緒になると、人のいいお爺さんの顔から、一瞬だけ急に眼光が鋭い奇妙な人と入れ替わったような気がした。多分これも気のせいである。
そして、しわの刻まれた顔から滲む穏やかな笑顔とともに、
「すまんね。懐かしくてどうしても乗りたくてね。うれしいよ有難う」
と古参の鉄道員らしくないぐらい深々と頭を下げた。
機関士はブレーキ弁に頭が当たるほど頭を下げて返礼し、その後、一切後方を見ることはなかった。
機関助士の師匠は投炭シャベルを握る手が緩んで今にも落としそうだった。
機関助士見習の一勝地には状況が全く読み込めなかった。
小屯別を発車する。
ガコンと連結器が音を出し、その音が繰り返される。その度に機関車に衝動が響いてくる。
古参鉄道員が微かに苦笑いするのを一勝地は見逃さなかった。
なにがおかしいんだろう?
天南峠に差し掛かるため、合川師匠は石炭を勢いよく投炭しだした。
「ここはトンネルまでの辛抱だから、一気に行くんだ」
線路が上り勾配となり、曲線も右へ左へと変化する。
適宜、この曲線は半径何だ?勾配は?最高速度は?と諮問をしてくれる。微かに息を切らしながら。一勝地は必死に答え続けた。これ以上愛の鞭を受ける訳にはいかない。
しかし、師匠の力量をもってしても、その質問が意味をなさないぐらい速度は上がらないため、この区間はとにかく蒸気圧を上げることに注力したほうがよいことも、遠回りに教えてくれているともいえる。
一勝地はつい、古参の鉄道員が気になってしまい、師匠から視線が外れる。
「この人は何をみているのだろうか」
視線が師匠と機関士どちらにも向いているように見えた。師匠に対するまなざしは、自分の孫を見るかのようにあたたかいもので、一勝地への指導の合間に微かに貴重な石炭が散りそうになると、そっと視線を外した。
しかし、師匠の左側にいる大野機関士への視線は明らかに違う。さっき感じた眼光鋭いままに、白い目で見ているようにも感じられる。
特に問題なく機関車は峠を登り始めているし、遅延もない。
ただの気のせいだろうと、おとなしくしていることにした。
やがて、下り坂がはじまった。この先は音威母府まで断続的に下り勾配だ。機関士はつい、上音威母府の停車を忘れそうになる。
そこが交換設備と側線がある停車場なのが救いである。何個も駅停車であると認識できる要素が線路脇と線路上に現れるからだ。
もし、ただ板張りのホームが線路に添えてあるような簡素なホームで、仮停留所扱いなら、何度も駅通過の誤扱いが発生していたかもしれない。
上音威母府に向けて走行中、左側には小高い山があり、右側には道路がある。その間を線路は敷設されているかのようだ。
比較的緩やかな曲線レールが使用されていて、連続直線区間もあるが峠の最中なので、原野走行時よりは機関士に眠気が襲ってこないため、大野機関士はまだこの区間をマシな方だと思っている。
しかし、夕方以降のこの区間での運転は、大敵となるシカが飛び出してくることもあり気が抜けない。機関車の前照灯に引き寄せられることもあるようだ。
もっとも、シカに気が付いたところで線路上にいた場合どうしようもなく、正面切ってぶつかってしまうこともある。
なかなか、重たい音がする。夜間・山間区間・動物の組み合わせを喜ぶ乗務員はほとんどいない。気の毒だなとも思うし、車両故障のリスクもありシカ・乗務員の双方が避けたい出来事だった。跳ね飛ばすことが出来ればまだよい。(よくないけど)列車の床下点検が必要だと判断した場合、最悪だと一言つぶやかずにはいられない。ましてや、ここに雪が追加されると目も当てられない。車掌と協力してことの処理にあたるが、この山間部では風の音が何か別の音に聞こえる気がする。
とくにそのあいだは。
「場内進行」
「場内進行」
「・・・・・・場内進行」
「場内進行」
大野機関士
合川機関助士
一勝地機関助士見習
古参鉄道員
この順で場内信号機を確認する。一勝地は古参鉄道員より先に確認喚呼してよいか戸惑った。そのため一瞬喚呼が遅れた。
古参鉄道員はすべてを察し、一勝地が合川から「喚呼が遅い!」と怒られる前に先手を打った。
「わしに気をつかわんでいい。ありがとう。主役は君たちだ。わしは、おまけ。お払い箱だ」
機関車に乗る前の優しい眼差しで振り向いて、そう低い声で話すと
「わっははは」
と今まさに乗務中の機関車の煙のような笑いでとばした。
そのフォロー?ともとれる一言のため、一勝地の喚呼遅れはおとがめなし。合川師匠も古参鉄道員にどう返答するか考えるので必死なようだった。
立場の弱い人が何を感じているか察して、さりげなく行動してしまう人は強い。でも、少し怖いような気もする。
まもなく列車は次駅の上音威母府駅に到着する。列車交換設備があるが、ダイヤ上はこの列車の行き違いはない。
「ゴツッ」
転轍機を通る際の衝動が大きい。見習の一勝地でも察するレベルである。制限速度を超過したようにも感じた。
あきらかに大野機関士がおかしい。ブレーキ弁を握る手が震えている。
上音威母府駅では助役が停止位置でタブレットを持って待っていた。あろうことか5m近く行き過ぎてとまった。後ろの貨車から衝動を受けて止まったことから、何か操作を失敗したのかもしれない。
「年寄りを歩かせるな」
そう悪態ついて歩み寄る助役。
「少しぐらい歩かないと若い奴にもうろくじいと言われ足手まといにされますな」
運転台から古参鉄道員が戒める。そして、こう続けた。
「そんなもうろくじいが説教しても仕方ないか」
言い終わる頃に彼らは目が合った。次の瞬間に助役の顔色が変わる。
「か、神威さん?神威さんじゃないですか。これは、神威さんのカマだとは知らずに大変失礼いたしました。えっ、でもなぜ……」
「すまんの~ワシが小屯別から乗せてもらったもんだから重くてその分ブレーキが利かんかったんだ」
また、返答に困ることを言っている。と一勝地は心の中で思う。
なぜ、小屯別駅は閉塞扱い時にヒトコト言ってくれないかね……うちの駅に寄って行ってください。後で車で送りますから。などと懇願する助役を神威が追い返そうとする攻防が繰り広げられ、結果的に助役が少し離れたところから神威の乗る列車を見送ることで決着がついた。なぜか、機関士の座席が見えにくい位置に立っている気がした。近くで、敬礼とお辞儀が混じったような鉄道員によくある動作で、機関車のすぐ脇から発車を見送らないことに違和感を覚える一勝地。
しかし、次の瞬間に理由が分かる。
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