都会の列車を担当したいと思う。
それか、長くて堂々たる編成を持つ急行列車のカレチ(車掌長)になりたいという夢が、心の中で燃え続けている。
しかし、その希望を実現するには、現実の壁が立ちはだかる。
今、自分が担当しているのは、この動物たちが乗りそうなローカル線の1両編成。身分はその普通車掌だ。周囲を見渡すと、冬が終わりかけているとはいえ、まだ雪が残る山々が続く。遠くには、枯れた木々が風に揺れ、葉を落とした枝が青白い空に伸びている。
幸いこの風景はまだ美しいと感じるような気がするが、この路線の経営状況はみにくいありさまであり、大赤字なのは明らかだ。
列車は、時折吹く冷たい風に押されながら進む。
そうした中で、一緒に働く運転士たちのことを考えると、やはり複雑な気持ちになる。
彼らは元機関車乗りが多く、そのせいか偉そうな態度を取る者や、嫌がらせをしてくる変な奴ばかりだ。
運転台の外から見える景色とは裏腹に、列車の中には暗い雰囲気が漂っている。
車掌の先輩たちは感じの良い人が多く、話も上手で陽気なのに、なぜ運転士たちはこうも陰気で、生きている世界が狭そうな者ばかりなのか。
日々、疑問を感じざるを得ない。
実際には新人を大事にしてくれる運転士の方が多く、長谷部を大切な若い仲間として優しい眼差しを送る運転士も多いのだ。
だが、悪い運転士の中でも特に強烈な数名がいたせいで、「運転士とは職人気質の変な奴ばかり」という認識が頭にこびりついてしまった。
今日は、北村運転士とコンビを組んでいるが、彼は大当たりだ。
空は薄い雲が広がり、光はやや弱いが、北村さんと一緒に仕事をする時間はいつもあっという間に過ぎる。
ベテランで、運転も熟練しており、列車の揺れも最小限に抑えられているため、一緒に乗務していて疲れることも少ない。
折り返しの美仁宇布駅では、いつも向こうから気さくに話しかけてくれる。
美仁宇布駅は山間の小さな駅で、列車が到着すると一時的に微かな活気をもたらすが、次第に周囲は静まり返り、ただ風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
ここから先、沿岸部の街へ延伸する話があり建設が進んでいるようだがどうなるかは不明だった。
北村運転士とは運転中もよく話を交わす。運転室の窓からは、山々の稜線が見え、川沿いにはまだ凍りついた水面がちらちらと見える。
彼が「君とコンビを組むと何かと助かるんだ。眠いと思った瞬間に乗務員室に入ってきてくれるから、事故防止として最高だね」と言ってくれると、その言葉が心に沁みる。
彼の言葉はどこまで本気か分からないが、彼の明るい笑顔とともに、その言葉は長谷部の心に温かく響く。まわりの先輩車掌たちからの評判も上々で、みんなが彼と一緒に仕事したいと思うほど慕われている。
とても50歳のおじさんとは思えない若々しさと、常に前向きで元気な姿勢が印象的だ。
ただ、ちょっと声が大きいのが玉に瑕だが、それもまた彼らしい。
見習期間中に、乗客の動向とその乗客に紛れた上司の抜き打ちテストにまんまと引っかかり、終着美仁宇布駅にまもなく到着するにも関わらず、旅客対応を優先させてしまう。
そのまま列車は美仁宇布駅に停車したのに旅客との会話に集中していた彼は乗務員室に戻れず、扉は開かないまま。他の乗客から「車掌さん扉あけてよ」と言われて初めて気がつく始末であった。
駅構内は夏の日差しが照りつけ、ホームのアスファルトが熱を帯びている。レールは灼けた金属のように光り、遠くからはセミの鳴き声がかすかに聞こえる。彼が気づいた時には血の気がひき、鬼のような形相の師匠が寒々しい目線を彼に突き刺していた。
全力で乗務員室へ戻りなんとか扉扱いを完了させたあと、乗客の冷たい視線を浴びながら下を向くしかなかった。
運転士にも迷惑を掛けてしまった。そこまで気の回らない新人車掌を置き去りにし、師匠が全速力で前まで行き、北村運転士に今の不手際を謝罪した。
運転台を交換し仁美深へ折り返す準備をする。小走りに戻ってきた師匠と、北村運転士が今まで運転していた側の乗務員室へ向かう。
その道すがら辛辣な言葉で怒られた長谷部は、暑さで溶けたアイスにでもなりそうなぐらい、美仁宇布駅構内をトボトボと歩いていた。
師匠はお前は乗務員室で反省してろというと、駅事務室へ行ってしまった。
軽快な足取りでホームを歩き、進行方向川側の運転台まで近づくとタバコいきましょうよとジェスチャーで北村運転士を誘っていた。
20m先にある反対側の運転台が異次元なほど遠い存在に感じる。
また、長谷部が下を向こうとした瞬間、北村運転士の声が響く。
「どうせ今、大声で𠮟り飛ばしてきたんだろ?お前、ちょっとあの見習かせ。俺が元気づけてやる。あいつは実は結構いい奴で、職場を明るくする力がある。潰したくない。次の折り返しは美辺渓まで俺の運転席横において話をさせろ。あくまでも、俺がこう言ったんじゃなくて、お前が邪魔だからあっち行ってろって、前の方に来るように促すんだぞ。師匠は嫌われ役をやると決めたなら最後までそれを演じきれ。周りがみんなで見習をサポートすればいいだけの話だ」
と、熱く語っているのが丸聞こえだった。距離にして20m以上、いや、駅舎に向かって歩いていたから30mぐらい距離があったかもしれない。不甲斐ない自分と、北村運転士の優しさで、顔がぐちゃぐちゃになってしまったことを、昨日のことのように思い出す。
その折り返し列車である仁美深行を乗務して戻るとき、イマイチ師匠の耳が若干遠くなっていたのは言うまでもない。
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