ある日、長谷部に仁美幸線の担当がまたまわってきた。
今回は大外れである。
出勤時に一緒にコンビを組むのは柴山運転士だと分かった。
仁美幸線の始発を一緒に組むのは初めてだ。外はまだ薄暗く、冷たい風が頬を刺すように吹きつけてくる。霧が立ち込める駅構内は、人影もまばらで静寂に包まれている。時折、遠くから聞こえる列車の走行音が静寂を切り裂くように響く。空は雲に覆われており、日の出はまだ先のようだ。
柴山運転士は、かつて急行列車が沢山走るような本線で優等列車を担当する優良機関士だったと聞くが、今ではその影は全くない。プラットホームに現れた彼の姿は、無骨な大きな体格と無精ひげで、どことなく荒涼とした風景と重なる。まるで出庫を待つ車両の冷たさがそのまま人間の形を取ったかのような雰囲気だ。
残念を煮詰めたような性格で、クマのように大きく、体臭がきつく、いつも怒鳴り散らすことでしか人と会話できない。遠くからでも分かるその独特な体臭が、空気の中に広がり、思わず眉をひそめてしまう。
いつも不機嫌そうだ。終点の駅で運転台を交換すると、柴山臭が充満しており、少し備え付けの扇風機で換気をしてからじゃないと乗り込めないぐらい酷い臭いだった。
当然、誰もコンビを組みたがらない。同僚の運転士でさえ会話もしたくないようだった。
車掌に対しては扉を開けるのが遅い。閉めるのが遅い。ブザーが遅い。アナウンスがうるさい。などといちゃもんをつけることで有名だった。
ひどいときには、お客さんがまだ乗り切っていないのにブレーキを緩められ、列車が駅の勾配で転動し強引に発車しようとする始末だった。
長谷部はいつもハラハラするのだが、柴山は気に留める様子もない。
さらに運転は上手くないのだからどうしようもない。
いつも、各駅少しずつ遅れていくのがおなじみだった。
仁美幸線の一番列車は宗山本線と分岐する仁美深駅が始発ではない。
冷たい朝靄が漂う夕寄駅が始発になる。
3350Ⅾ列車に連結されて、仁美深駅まで2両編成で運転される。
仁美深駅で切り離しを行い、平日は前1両が音威母府行きとして、平日・土休日ともに、後ろ1両は進行方向をかえて、仁美幸線の始発列車9210Ⅾ列車に変身する。
長谷部が夕寄車掌区で出場時間を待っていると、同期の清水が近くにきて3350Ⅾの担当であることが分かった。
休憩区画には暖房が入っているが、それでも冬の寒さが室内に入り込んでいるのが感じられる。
車掌同期でウマの合うやつと仁美深まで一緒なのは嬉しいが問題はその先である。窓の外を見ると、遠くの山々がうっすらと雪化粧しているのが見える。
一緒にホームまで行き、発車準備がほぼ完了している列車に乗り込む。
二人がかりで車掌用機器の点検を行う。
すべて異常なし。
客室・乗務員室ともにちょっとした気遣いが感じられた。
朝は寒いからと、早めにヒーターを入れておいてくれたのだ。
他にもわざわざ、ちょっとしたひと手間が随所に見られた。
窓の外には、白い息を吐きながら通勤客が次々と列車に乗り込む姿が見える。
「清水、音威母府まで北村運転士?」
「だな。車掌用機器の点検が少しでもしやすいように配慮されているから分かっちゃうよな(笑)」
「いいな~大当たりじゃん。俺、前行って話してくる」
「まてイチヤン、俺も行く」
二人して小走りで先頭まで行く。助手席側で新聞を読んでいた北村運転士は嬉しそうに彼らを出迎えた。窓の外にはまだ夜が明けきらない曇り空が広がり、彼らの足元にはヒーターのあたたかさじんわりと広がっていた。
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